【書評】PIXAR〈ピクサー〉で学ぶジョブズとレビーの中道経営【感想】
こんにちは、外資系セールスから転職→現在はベンチャー企業にて起業家を支援している冨田到(@ItaruTomita9779)です。
さて、突然ですが、皆さんはPIXAR〈ピクサー〉の映画を見たことがありますでしょうか?
そう、PIXAR〈ピクサー〉と言えば、トイ・ストーリーや、モンスターズ・インクなど、ディズニーランドでもよく見るキャラクターたちが出てくる映画を作っている会社です。
実は、このPIXAR〈ピクサー〉ですが、1986年にスティーブ・ジョブズに買収されており、80年代後半は、今の姿も想像できないほどの赤字を垂れ流す会社でした。
しかも、ディズニーとのパワーバランスは最悪で、トイ・ストーリーの収益は80%ほども取られてしまう契約をしており、PIXAR〈ピクサー〉の名前が表舞台に出ることはなかったのです。
しかし、PIXAR〈ピクサー〉をIPO(株式上場)させ、ディズニーとの再契約・買収を取りまとめ、ディズニーとPIXAR〈ピクサー〉の関係性を変え、その名前を世の中に浸透させた物語が実はあったのです。
今回は、そのストーリーをファイナンスの面から、スティーブ・ジョブズとPIXAR〈ピクサー〉を支えた、ローレンス・レビーの感動的な話が読める本の書評・感想をご紹介します。
それは、「PIXAR 〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」という本です。
内容紹介
アップルを追放されたスティーブ・ジョブズとともに、
スタートアップを大きく育てた真実の物語!★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
アマゾンベストブック of 2016 (ビジネス&リーダーシップ部門)
フォーチュンが選ぶフェイブリットブックof 2016
世界12か国以上で話題沸騰!NYタイムズ絶賛!
「なんて魅力的なんだ・・・。強烈な個性を持つ業界の人々やビジネス課題でさえ、
爽やか且つエレガントな物語に変えてしまう冷静さと明快な力をLevy氏は持っている。
Levy氏の執筆力とPixarでの彼の経営の成功は、To Pixar and Beyondの最初の ページから明らかなように、個人的な質に根差している。その資質とは人間力である。」★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ジョブズが自腹で支えていた赤字時代、
『トイ・ストーリー』のメガヒット、
株式公開、ディズニーによる買収……
小さなクリエイティブ集団を、ディズニーに並ぶ一大アニメーションスタジオに
育てあげたファイナンス戦略!出版社からのコメント
ビジネス書ではありますが、著者の人間性の魅力あふれる、血の通った真実の物語です。
クリエイティブを追求すること、現実的に会社として生き残らなければいけないというプレッシャー、 ふたつの折り合いをどうつけるかというテーマは、今読まれるべき本だと思います。内容(「BOOK」データベースより)
小さなクリエイティブ集団をディズニーに並ぶ一大アニメーションスタジオに育てあげたファイナンス戦略!
著者について
ローレンス・レビー
ロンドン生まれ。インディアナ大学卒、ハーバード・ロースクール修了。
シリコンバレーの弁護士から会社経営に転じたあと、1994年、スティーブ・ジョブズ自身から声をかけられ、ピクサー・アニメーション・スタジオの最高財務責任者兼社長室メンバーに転進。ピクサーでは事業戦略の策定とIPOの実現を担当し、赤字のグラフィックス会社だったピクサーを数十億ドル規模のエンターテイメントスタジオへと変身させた。のちにピクサーの取締役にも就任している。
その後、会社員生活に終止符を打ち、東洋哲学と瞑想を学ぶとともに、それが現代社会とどう関係するのかを追求する生活に入った。いまは、このテーマについて文章を書いたり教えたりしている。また、そのために、ジュニパー基金を立ちあげ、創設者のひとりとして積極的に活動を展開している。
カリフォルニア州パロアルト在住。いまは妻のヒラリーとふたり暮らしである。井口耕二
1959年、福岡県に生まれる。東京大学工学部卒、米国オハイオ州立大学大学院修士課程修了。
大手石油会社勤務を経て、1998年に技術・実務翻訳者として独立。
主な訳書に『スティーブ・ジョブズ I・II』(講談社)、『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』、
『リーン・スタートアップ ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす』(共に日経BP社)、
『リーダーを目指す人の心得』(飛鳥新社)、『本物の大富豪が教える金持ちになるためのすべて』など多数。
著書に『実務翻訳を仕事にする』(宝島社)、
共著書に『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社)がある。
PIXAR〈ピクサー〉を導いた二人の経営者
スティーブ・ジョブズといえばAppleの経営者のイメージが日本では強いと思います。
しかし、ジョブズは「PIXAR 〈ピクサー〉」というエンターテインメント業界の会社にも深く関わっていたのです。
スティーブ・ジョブズもいるし、あの「PIXAR 〈ピクサー〉」だから、華々しい物語だと思われがちですが、冒頭申し上げたとおり、そうではありません。
会社というものは、スティーブ・ジョブズのようなビジョンがあっても、「PIXAR 〈ピクサー〉」のように、素晴らしい映像技術があっても上手く行かないものなのですね。
皆さんの会社はどうでしょうか?
社長は理想を語っていますか?それとも、現実的な数字の話を重視されていますか?
しかし、「PIXAR 〈ピクサー〉」のストーリーからは、理想と数字、どちらも大事なのだと、深く理解させられます。
本書のおすすめできるポイントは、繰り返しになりますが、「PIXAR 〈ピクサー〉」を上場し、ディズニーと比肩する企業にするまでの二人の経営者のストーリーです。
これは、【スティーブ・ジョブズと「PIXAR 〈ピクサー〉」のアート】と、【ローレンス・レビーのサイエンス】の融合のストーリーなのです。
過度に「理想」に傾いた経営の恐ろしさ
ローレンス・レビーはシリコンバレーでも優秀な弁護士で、スティーブ・ジョブズに誘われて、赤字の1994年に飛び込みました。
最高財務責任者=CFOを担い、「PIXAR 〈ピクサー〉」の事業戦略への適切な投資や、株式上場を含めた資金調達の実行を通じて、赤字を回復させました。
赤字の「PIXAR 〈ピクサー〉」に飛び込んだローレンス・レビーの独白に、こんなものがあります。
プレートの片方は、イノベーション圧の高まりだ。つまり、美術的・創造的にすばらしい物語を求める流れと、それを表現する新しい媒体であるコンピューターアニメーションの創出である。もう片方は、生き残らなければならないという現実世界のプレッシャーだ。具体的には資金の調達、映画チケットの販売、制作のペースアップなどである。
「PIXAR 〈ピクサー〉」の一流の映像技術だけあっても、資金がない、映画のマーケティングも危うい、という状況でした。
このような状況は、極度に経営が理想を求めてしまった結果と言えます。
しかも、スティーブ・ジョブズは理想を追い求めるあまり、Appleを一度追放されていますが、「PIXAR 〈ピクサー〉」でも、彼の頑固さは変わらず、現場のスタッフたちには嫌われていたようです。
スティーブとは、いつもだいたいこんな感じのやりとりだった。大きな問題でも小さな問題でも、スティーブは激しい議論を展開する。議論は同意できる場合もあれば同意できない場合もある。同意できない場合、私は、彼が激しいから譲歩するのではなく、あくまで事態の打開に資するから譲歩という姿勢で臨む。スティーブも、自分の考えを押しつけるより、議論で互いに納得できる結論を出し、ともに歩むほうを好んだ。ピクサーにおける事業や戦略は、彼が選んだものでも私が選んだものでもなく、こういうやり方で得た結果だと思うと、何年もあとにスティーブからも言われている。
ローレンス・レビーはそんなスティーブ・ジョブズともなんとか上手く、合意形成をしていくわけですね。
ただ、「PIXAR 〈ピクサー〉」のようなエンターテインメント映画は、1本の制作に時間と費用が莫大にかかるので、次の失敗は許されないレベルの状況にありました。
本書は、このような力から、おもちゃや虫、魚、モンスター、車、スーパーヒーロー、シェフ、ロボット、そして感動に対する愛を世界にもたらした小さな会社がどう生まれたのか、その誕生の物語である。創造性と現実の折り合いをどうつけるのか、その緊張の物語。
このような状況を突破するには、理想と現実を極限まで追い求めて、結果を出すしかないという、緊張感の高い現実が本書からひしひしと伝わってくるわけです。
「理想と現実」の折り合いの追求
繰り返しになりますが、そんな経営のバランスを保つのがローレンス・レビーの役割になります。
もし、ローレンス・レビーが過度に数字の話ばかりして、「PIXAR 〈ピクサー〉」の社員の士気を下げてもいけないのもまた難しいところです。
理想と現実の折り合いを、最高レベルまでの保ったのが、このローレンス・レビーのしびれるところでしょうか。
彼は、数字だけで判断するような男ではなかったからこそ、赤字まみれの「PIXAR 〈ピクサー〉」に入ってきたわけです。
「きれいなグラフィックスを作れば人を数分は楽しませることができる。だが、人々を椅子から立てなくするのはストーリーなんだ」
彼は「PIXAR 〈ピクサー〉」の現場を見るたびに、トイ・ストーリーの制作の現場を見るたびに、実感するわけです。
「PIXAR 〈ピクサー〉」の技術と、それを素晴らしいストーリーに変えていく社員たちの姿を見るわけです。
そこで、「PIXAR 〈ピクサー〉」の文化に当てられて、それを世界に広めていきたいと思っていくのですね。
シリコンバレーなどというものがどうして生まれたのだろう。私は、昔から不思議に思っていた。新興企業の仕事をするたび、スタートアップが自分たちの市場を食い荒らすのを、資源が潤沢で経験豊かな経営陣がそろっている大企業が指をくわえて見ているのはなぜなのだろうと思ってしまうのだ。コンピューターの世界を何十年も牛耳ってきたIBMや、グラフィカルユーザーインターフェースを発明したゼロックスがみずからマイクロソフトやアップルにならなかったのはなぜなのか。
時代をさらにさかのぼるなら、鉄道会社が航空会社になっていてよかったのではないのか。いまの仕事に関係が深いものとしては、ディズニーがピクサーになっていないのはなぜなのか。ピクサーに成功のチャンスがあるのなら、何十年も王としてアニメーション世界に君臨してきたディズニーがコンピューターアニメーションに乗りだしているはずではないのか? 答えは、当然、そうしていてよかったはず、だ。
では、なぜ、そうしなかったのだろうか。理由はひとつしかない。文化だ。私はそう思う。文化は目に見えないが、それなしにイノベーションは生まれない。新しいものを生みだす元は、普通、状況や環境ではなく個人だと考える。そして、その人をヒーローとしてあがめ、そのストーリーを語る。だが、その実、イノベーションは集団の成果である。天才がいなければ生まれないかもしれないが、同様に、環境が整っていなければ生まれない。活気も大事だ。だから、なんとしても、ピクサーの文化と活気を守らなければならない。
「PIXAR 〈ピクサー〉」の文化だからこそ、イノベーションを起こせると、実感していくわけです。
この文化というものは、企業が新規事業を作る際にも、イノベーションを起こす際にも、実際に理論的にも重要とされています。
詳しくは、下記のクリステンセンのイノベーションのジレンマの書評をご参照ください。
この文化を殺さず、「PIXAR 〈ピクサー〉」の社員の技術力を活かして、素晴らしい映画を作るというビジネスに仕上げ、世界を感動させるイノベーションを起こすのです。
詳細は本書をぜひ読んでもらいたいので、書きませんが、ローレンス・レビーはその後に、理想と現実のギャップでハードな判断を行い続けます。
ピクサーに来て2年間、IPO、ディズニーとの再交渉、クリエイティブな判断に関する決断、スタジオの拡大など失敗が許されないことがてんこ盛りだった。
ローレンスがスティーブ・ジョブズに、「PIXAR 〈ピクサー〉」の株価が上昇していた時に、こんなことを伝えます。
「高く飛びすぎて太陽に近づいてしまってるんです」
市場に対して、「PIXAR 〈ピクサー〉」の評価がバブル的に最高潮になっており、ここで「PIXAR 〈ピクサー〉」はついにディズニーへの買収と再交渉を申し入れるわけですね。
スティーブ・ジョブズはこの交渉のときにも、非常に頑固で「譲りたくないことは、交渉決裂を覚悟しても譲らない」という感じで、頼もしくもあり、危うくもある交渉だったそうです。
しかし、ローレンス・レビーがいたから、この折り合いがつけられたのです。
理想は追えども、限界を見極める、かなり難しいことだと思います。
「PIXAR 〈ピクサー〉」から分かることは、レビーはCFOの立場から、ピクサーのビジョン高い位置で維持し続け、ファイナンスを駆使して経営し続けました。
「PIXAR 〈ピクサー〉」という名作ヒットメーカーの裏側が、こんなに泥臭かったのかと、感動を覚えざるに入られませんね。
理想の現実化を助ける「チームワークによる中道」
理想というものは、一人では実現できないものです。
なぜならば、ある人の理想は、ある人にとっては理想ではないからです。
それは、ある人の現実が、ある人の理想を邪魔するとも言えます。
極論ですが、あなたが理想論として「地球温暖化防止を止めたい」と言っても、石油会社や電力会社は、明日のお金のためにビジネスを急には止められない現実があります。
理想を社会に実装するには、誰かの現実に折り合いをつけて、適応させないといけないのです。
「PIXAR 〈ピクサー〉」では、スティーブ・ジョブズの理想、社員の理想、ローレンス・レビーの理想を上手くチームで、現実化したと言えます。
上記の一部でも欠けたら、その理想は完成し得なかったはずです。
ローレンス・レビーがいなかった時の「PIXAR 〈ピクサー〉」を思えば、チームワークの重要性が理解させられますね。
この議論は、「市場は間主観的に創られる」という熟達した起業家の特徴を論じたエフェクチュエーションに近いです。下記が参考になります。
ローレンス・レビーは、このチームの重要性を理解していました。
特にそれが顕著に現れるシーンとして、映画館でスタッフロールが流れる際に、全社員の名前を載せたいと、ディズニーに交渉するのです。
「社員にスポットライトを」、ということで、ディズニーに許可を得たのですが、「自分の名前=役員の名前だけは載せられない」と言われてしまいます。
「ピクサー役員のクレジットはなし、この慣例は破れない、だそうだ」「いいんじゃないですか。やりましたね。ディズニーへの申し入れ、ありがとうございました」
それでも、ローレンス・レビーは、仲間への思いを持って、交渉の妥結に挑んだわけです。
いまも、私は、ピクサー映画を見るときクレジットの最後まで待ち、支援部門の名前が流れていくのを目を輝かせて見ている。家族もよくわかっていてそこまで付き合ってくれる。ここを見るたび、私は涙ぐんでしまう。最近の映画だと知らない人のほうが多くなってしまったが、それでも、彼らが一生懸命働いていること、彼らがいなければその映画は完成しなかったであろうこと、そして、たとえつかの間であっても彼らの名前にスポットライトが当たるべきであることはまちがいないのだ。
また、スティーブ・ジョブズについても、現実を見ることがうまくなったと、評するシーンがあり、「PIXAR 〈ピクサー〉」を通じて、人々が変わっていったことも感動的なポイントです。
エンターテイメント業界を理解したことも、そういう変化のひとつだ。ハイテク業界のCEOであるとともに、エンターテイメント業界のCEOでもあるわけで。両方の世界をよく知っていると言える経営者はとても珍しいし、これがなければ、アップル復帰後、音楽とエンターテイメントというややこしい世界に進出するなどはできなかったはずだ。ピクサーで事業や戦略について私と一緒にいろいろと考えたのもよかったんじゃないかと思う。スティーブは、アップル、ネクスト、そしてピクサーの前半と失敗続きだったが、その大きな理由として現実を無視したことが挙げられる。Lisaも初代マッキントッシュもNeXTもピクサーイメージコンピューターも、価格が高すぎたり市場で重視されていることを無視したりしたから失敗した。それが、私が来てからは、事業の現実とクリエイティブな優先順位との折り合いを上手につけるようになった。
ローレンス・レビーは終盤に東洋哲学に興味を持ちます。
その中で、「中道」という言葉に想いを寄せられます。
「中道」とは、仏教の思想の一つで、「人間の苦しみはどこから来ているのか」という問題意識を持った際に、たどり着いたものです。
「人間の苦しみ」は「意識・価値観・認識」から来ており、その意識から生じる「執着・快楽」を捨てることで、「苦しみ」を克服するわけです。
「執着」は一つの価値観に人を縛りますので、そこから意識を開放し、色々な価値観で物事を捉える、そして中間的に物事を捉えることが「中道」なわけです。
西洋哲学で言えば、弁証法的思考法、アウフヘーベン、止揚するイメージでしょうか。
中道のイメージをつかむには、自分のなかに人がふたりいると考えてみればいい。ひとりは官僚、もうひとりは自由な精神のアーティストだ。官僚は、時間通りに起きる、払うべきものを払う、いい成績を取るなど、物事をきちんとやるのが仕事で、安定や規則を好み、効率や成果に価値を置く。対して自由な精神のアーティストは、深いところでつながり、生きている喜びや愛、冒険、のびのびとした活力、創造性、気持ちを大切にする。我々が気づかぬうちにどっぷり漬かっている慣習や期待という海を突き抜け、その先に行こうとするのだ。
そして、ローレンス・レビーは「PIXAR 〈ピクサー〉」から「中道」を見出すわけです。
「ピクサーさ。どうして気づかなかったんだろう。ピクサーは中道の考え方そのものなんだよ」「どういう意味?」 ヒラリーが乗ってきた。「芸術的側面と事業的問題の折り合いをなんとかつけようといろいろなリスクを取ったわけだけど、あれこそ、中道のいい例なんだよ」
中道の考え方は、このような力関係にもがく多くの組織に応用できる。ピクサーのように成功するのはまれかもしれない。ごくまれと言うべきかもしれない。だが、そうでなければならない理由はない。事業としてなすべきことをなしつつ、創造性や尊厳、人間性を育むすばらしい組織を作ることは可能なはずなのだ。きちんと意識しさえすればできる。官僚的な仕組みと、深くていわく言いがたいクリエイティブなインスピレーションとの釣り合いを上手に取ろう、仕事の人間的側面との釣り合いを上手に取ろうとしさえすればいいのだ。そうしても軟弱になる心配はない。ピクサーはそうならなかった。ほかの会社でも同じだ。よくなることはあっても悪くなることはない。
「PIXAR 〈ピクサー〉」は、まさにクリエイティブな社員とスティーブ・ジョブズのアートと、ローレンス・レビーを代表としたサイエンスの「中道経営」だったわけです。
ちなみに、中道経営に失敗しそうになったのが、マクドナルドです。宜しければ下記をご参照ください。
エンターテインメント業界で埋もれていた「PIXAR 〈ピクサー〉」という基礎があったからこそ、スティーブ・ジョブズとローレンス・レビーの2つの価値観がぶつかり合い、理想と現実の「中道経営」が実現したのです。
小雨の中、海辺に座り、私は、ピクサー後の旅路についても思いを巡らせていた。人間は地に足がついているほうがいい、分別や知恵や刺激が深いところから湧いてくる源があったほうがいいと思う。そういう源があれば我々は前に進める、人生に深みと達成感が生まれる、高く舞いあがることができる。かつては、神話やしきたり、地域行事などがその役割を担っていた。オローニが毎日朝日に祈りを捧げていたのにはそれなりの理由があったのだ。今後、その役割はなにが担ってくれるのだろうか。効率はたしかに繁栄をもたらしてくれたが、それをどこまでも追い求めると人間性が大きく損なわれるおそれがある。本当の意味で空高く舞いあがるには、踏みきる基礎となるなにかが必要だ。我々を導いてくれるなにかが必要だ。
その後、皆さんは御存知の通り、スティーブ・ジョブズはガンでなくなってしまったわけですが、たしかに彼が残したものは「PIXAR 〈ピクサー〉」と共に生き続けています。
そして、ローレンス・レビーもスティーブ・ジョブズに感謝を思いながら、「PIXAR 〈ピクサー〉」のことを散歩しながら語った日々を思い出すのです。
そして、もう一度、もう一度だけでいいから、そこに彼がいて、にっこり笑うと、こう言ってくれたらどんなにいいだろう。「やぁ、ローレンス。散歩に行くかい?」
まさに「PIXAR 〈ピクサー〉」チームだからできた、「中道経営」です。
皆さんも「PIXAR 〈ピクサー〉 世界一のアニメーション企業の今まで語られなかったお金の話」から、理想を追い求め、現実に適用させ、チームで世界を作っていくことの学びを得てみましょう。
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