【感想・考察】「むらさきのスカートの女」から自分の承認欲求を問う。

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【感想・考察】「むらさきのスカートの女」から自分の承認欲求を問う。

こんにちは、外資系セールスから転職→現在はベンチャー企業にて起業家を支援している冨田到(@ItaruTomita9779)です。

皆さん、最近小説は読んでますか、忙しくて読みたくてもあまり読めてない人も多いかもしれませんね。

私も最近ビジネス書ばかり読んでいたのですが、心機一転で芥川賞を受賞した「むらさきのスカートの女(今村夏子さん著)」を読んでみました。

今回は、「むらさきのスカートの女」の感想と考察をまとめたいと思います。

後半からネタバレ注意の構成になりますので、まだ読まれていない方は要注意です。

本記事のまとめは下記のとおりです。

「むらさきのスカートの女」からの問いかけと学び

  • あなたは、透明な存在?特別な存在?
  • 承認欲求は人間を不思議な行動に駆り立てる。
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「むらさきのスカートの女」の内容紹介

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し……。

『こちらあみ子』『あひる』『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』と、唯一無二の視点で描かれる世界観によって、作品を発表するごとに熱狂的な読者が増え続けている著者の最新作。

第161回芥川賞受賞作。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

今村/夏子
1980年広島県生まれ。2010年「あたらしい娘」で太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に三島由紀夫賞受賞。2017年『あひる』で河合隼雄物語賞、『星の子』で野間文芸新人賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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「むらさきのスカートの女」の奇妙なストーリー

「むらさきのスカートの女」は、語り手である「わたし」と、「むらさきのスカートの女」が主軸となって物語が進みます。

「わたし」は、髪がボサボサで、肌にはシミが有り、町の公園では子供にからかわれている「むらさきのスカート」をいつも履いている女のことが気になって仕方がないのです。

「むらさきのスカートの女」になぜか、異常に惹かれる「わたし」を観察する読者も、その不思議な両者の関係性に見入っていくことになります。(ページ数も130ページほどで、1時間ほどで読み終わります。)

読者は、小説のタイトルからして、「むらさきのスカートの女」を描いていくものかと思いきや、それに異常なまでのストーカー行動を行う「わたし」の気味の悪さを味わうことになります。

その気味の悪さと同時に、読み勧めていく中で、下記のような疑問が生じます。

  • 「わたし」と「むらさきのスカートの女」とは、一体何者なのか?、なせそこまで執着するのか?
  • 「むらさきのスカートの女」と「わたし」の関係から、我々は何を読み取ることができるのか?

ここから先は、多分にネタバレを含みながら、上記の疑問の考察を行っていきます。

読了後、ぜひ一緒に「むらさきのスカートの女」を噛み締めましょう。

【ネタバレ注意】「むらさきのスカートの女」の要約

ここからは、考察に入る前に、「むらさきのスカートの女」の要約をしながら、この小説を振り返りましょう。(読了後の人は飛ばしてしまってOKです。

さて、「わたし」と、「むらさきのスカートの女」は、「わたし」の策略によって、「わたし」が以前から働いていたホテルの清掃員として一緒に働くことになります。

「わたし」が心配する中、意外にも指導されたことを素直に聞き入れる「むらさきのスカートの女」は、職場にも受け入れられ、なんと職場の所長と不倫関係にも発展します。

このあたりで、小説の中盤になってきますが、読者は「わたし」についての説明が、一切ないことに疑問を持ち始めると思います。

「むらさきのスカートの女」については、「わたし」から説明があるのに、「わたし」については、一切説明がないため、「わたし」って何者?という気持ちになってきます。

私なんかは、実は「わたし」と「むらさきのスカートの女」は、二重人格なのでは?と思ったくらい、「わたし」についての記述がないのです。

あるのは、自称「黄色いカーディガンの女」として、「むらさきのスカートの女」に関わるシーンで垣間見えるストーカー行動のみです。

なんとも「透明な存在」として、「むらさきのスカートの女」を通して、描かれているのです。

「むらさきのスカートの女」は、職場での関係に味を占め、備品勝手に家に持ち帰ったり、不倫関係が噂になったり、良くないことに手を出します。

そして、職場でも浮き出し、最終的には所長と喧嘩になり、障害沙汰になってしまうのです。

障害沙汰になったときに、入念な準備をして逃走の手助けをしようと出てきたのが「わたし」で、「むらさきのスカートの女」は逃走し、それを「わたし」が追おうとするも行方知れずになってしまいます。

(なんと、「わたし」と「むらさきのスカートの女」がはじめて言葉を交わすのが、ここ物語の終盤なのです。)

最終的には、「わたし」は職場に残り、「むらさきのスカートの女」は姿を消し、「わたし」が「むらさきのスカートの女」の代わりに、町でこどもにからかわれそうになるシーンで、物語は終わります。

(ちなみに、「わたし」=「黄色いカーディガンの女」の正体は、権藤さんという職場のチーフであることが最後のシーンで判明します。なので二重人格説は薄いですね。)

友達になりたいのに、「むらさきのスカートの女」との関係性は、終盤になるまで観察者と被観察者であるのも、読者をムズムズさせます。

また、「むらさきのスカートの女」が、町で浮いてしまうような風貌から、ホテルの清掃員になる(制服・髪型・言葉遣い)過程で、「むらさきのスカートの女」の特殊な存在感が薄れることを感じさせるシーンがあります。

「わたし(黄色いカーディガンの女)」が思っていた以上に、「むらさきのスカートの女」は、社会に馴染める、そこまで変わった人間というわけではなかったという証左なのでしょうか。

【ネタバレ注意】「むらさきのスカートの女」の考察・感想

「むらさきのスカートの女」のストーリーについて、下記の疑問が生じたことを先程述べましたが、そちらについて、改めて考察してみましょう。

  • 「わたし」と「むらさきのスカートの女」とは、一体何者なのか?、なぜそこまで執着するのか?
  • 「むらさきのスカートの女」と「わたし」の関係から、我々は何を読み取ることができるのか?

「わたし」と「むらさきのスカートの女」とは、一体何者なのか?、なぜそこまで執着するのか?

透明な存在としての「わたし」と、その「わたし」から特別視される「むらさきのスカートの女」が対比的に描かれていると私は感じました。

つまり、「わたし」は何か特別な存在や注目される存在に憧れる人物で、「むらさきのスカートの女」はその憧れの対象としての存在でした。

この特別性への憧れは、「わたし」が、自らのことを心のなかで「黄色いカーディガンの女」と呼称することからも、見受けられますし、「友達=親しい関係になりたい」という願望からも読み取れますね。

また、「むらさきのスカートの女」は、「わたし」目線で描かれる際には、異常な人物として描かれますが、他のホテルのスタッフとの関わりの中では、社交的で社会に馴染めている存在として描かれるのです。

(「わたし」が思っているほど、「むらさきのスカートの女」は異常な存在として認知されていないのでは?という疑問が生まれるわけです。)

そして、序盤に「わたし」が「むらさきのスカートの女」を自分の知人に似ていると表現するシーンがあります。

透明な存在である「わたし」が「むらさきのスカートの女」に知人の要素を重ね、さらに変わった存在として認識し、ストーキングしていく姿は、自分も個性的になりたいと言っているようにも思えます。

(ラストシーンでは、自分がむらさきのスカートの女の代わりになったかのようなシーンがあり、その後の「わたし」の未来の想像を掻き立てます。)

「むらさきのスカートの女」と「わたし」の関係から、我々は何を読み取ることができるのか?

人間は、誰かに認めてほしいという承認欲求というものがあります。

「わたし」は、その承認欲求が社会ではなく、「むらさきのスカートの女」に向いており、自分も特殊な存在感を深層心理の中で持ちたいと願っているように見えます。

その結果として、観察・ストーカー行動をとってしまったのではないでしょうか。

我々も、日々、SNS(FacebookやInstagramなど)で、有名人や友達や知人を観察していますね。

実際のストーカー行動をとってしまえば、「わたし」になってしまいますが、根源にある欲求は同じなのではないでしょうか。

根源にある欲求、すなわち、「観察したい、気になる」という気持ちや、「この人と一緒になりたいとか、この人とは違っていたい」という気持ちこそが、「むらさきのスカートの女」で炙り出された承認欲求なのでしょう。
人間の欲望が奇妙に描かれる奇妙な二人の奇妙な物語、芥川賞を受賞した「むらさきのスカートの女」、ぜひ一読してみてはいかがでしょうか。
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